ニューヨークより ピラティス便り⑤ | 東京のマシンピラティス専門スタジオ BDC PILATES (BDCピラティス)

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ニューヨークより ピラティス便り⑤

2022.10.03

皆様、いかがお過ごしでしょうか。BDC PILATESアドバイザーのHasegawaです。

読書の秋、芸術の秋。というわけで、今回は少しアカデミックな話題をお届けしたいと思います!

 

こちらはニューヨーク市立図書館。
マンハッタンの42丁目5番街と6番街の間、ブライアントパークという大きな公園に隣接して建っています。

中に一歩足を踏み入れると、そこは別世界…市街の騒音がまるで嘘の様に、とても静かな館内です。

 

こちらはRose Main Reading Room2階の閲覧室で、読書やリサーチの為になら誰でも利用できます。
私もこの時、本を読む為に訪れました。
ニューヨークに、こんなに何の音も聞こえない…静かな部屋があるのか?と思うほど、ここは静寂の世界。

誰もが読書やお勉強に集中しているので、立ち上がる時に椅子を引くのも凄く注意して…
っていうぐらい静まり返っている空間です。

 

この市立図書館は、映画やテレビ、写真の撮影等にもよく使われる歴史的建造物…何とオープンしたのは、1911年!!

私がこの図書館のことを知ったのは、まだ日本にいた頃に見た
オードリー・ヘップバーンの映画 “ティファニーで朝食を”からのワンシーンでした。

その頃から私が憧れていた街、ニューヨークに今こうして住んでいることは
”これって奇跡!?”と言えるくらい私にとっては幸運な事だと思うのですが…

今日は私のニューヨーク人生の中で、最も大切な出逢いの一つ‼︎
私がピラティスに出逢った頃のNYについて、お話ししたいと思います。

 

「ピラティス」というエクササイズの名称は、今でこそ日本でも公用語として広く知られていますが、
実はニューヨークでピラティスが一般的な公用語として法的にも認められたのは、2000年のこと!

ご存知のように、ピラティスは第一次世界大戦後ニューヨークに渡って来た
ドイツ人のジョゼフ•ピラティス氏によって始められて広まったメソッド。

それ以来ニューヨークを拠点にアメリカや海外に広まっていったのです。

ところが、1990年代終わりに、ある1人のピラティス指導者が”ピラティス”という用語を登録商標しようとしたことにより、
それに反対する集団訴訟が起こりました。

1人の人間がトレードマークとしてピラティスの名称を独占してしまうと、
それ以外の場所では、”Pilates based exercise” (ピラティスに基づいたエクササイズ)と呼ばなければいけない…

これは、とんでもないことになります。

 

1990年代のNYでは、既にセレブの間で大人気になっていたピラティスですが一般的にも、急速に人気が出始めた頃。

ジョゼフ・ピラティス氏が亡くなった後、第一世代のインストラクターから指導を受けた人達が増えつつある時代。

4年間の訴訟裁判の末、2000年、晴れて、”ピラティス”は、公用語として市民権を得るのです。

バレエやヨガといった様な一般用語扱いになり、今後、個人や会社がピラティスの名称を独占できないことに。

これは、アメリカのピラティス業界では、当時大変話題になった事件で、勿論私も耳にしていました。

そしてこれを機に誰でもピラティススタジオをオープンできるようになり、
この頃のニューヨークでは、急速にピラティススタジオが増えてきている時代でした。

 

私がニューヨークでピラティスに出会ったのは、2000年、ちょうどこの頃です。

ニューヨークに渡航する前の私は、東京でプロのダンサーとしてミュージカルの舞台を中心に7年ほどアーティスト活動をしていました。

ダンスのリハーサルや本番、毎日4、5時間は踊る生活でしたが、
私の知る限り1990年代の東京にはピラティススタジオは存在せず、
私はピラティスという言葉さえ、聞いたことがありませんでした。

現代のNYではプロのダンサーはピラティスやヨガをするのが当たり前になっていますが、
その頃の私は、筋トレと言えば、腹筋と腕立て伏せぐらいしかした事がなかったのです。

1998年、英語やダンス以外にも色々と学びたくてニューヨークに渡った私は、
2年間の語学学校生活を経て、ニューヨーク大学の修士課程のダンス教育学科に入学が決まりました。

 

ちょっと長くなってしまったので、この続きは次の記事で!!

ニューヨーク大学での経験についてお話しします。

 

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